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回想 第n-1試行

 ミスカはあたしが創った登場人物の中では一番年上で、物静かで、いつもあたしや他の仲間の話を聞くばかりで自分の話は滅多にしない人だった。今までの試行(ループ)の中でももめたりぶつかり合ったことがほとんどなく、言ってしまえば一番友達として浅く、よく知らない、そんな人だった。


 あたしが今進行しているシナリオをリセットし、始めからやり直すには、ある手順が必要だ。それをすることでこの夢世界のシステムは『この物語は続行不可能である』と判断する。

 すべての登場人物を、行動停止させること。それが条件。動くものの何もない空間にカメラを向け続けたところで映画も漫画も成立しない。物語には役者が必要だということだ。

 この『登場人物』というのはあたしが自分で創ったキャラクター、つまりリンたち味方キャラを指す。

 だからあたしは悪夢から逃げ出したくなるたび、皆の手足を止める。

 思考を止める。

 心臓を、止める。

 もちろんあたしだってそんなことはしたくなかった。たとえ実在しなくとも、それまでの長い時間を過ごした友達なのだから。それでもどうやったって喧嘩やすれ違いは発生する。あたしは皆と仲良く旅をして、ハッピーエンドを迎えたいだけなのに。だからリセットする。リセットするためにそれをしなければいけないのだから仕方ない。だからこれまで何回も、何回も、失敗するたびに、リンを、ミスカを、皆を。


 前回もあたしはいつものように一人目を『止め』て、ミスカはその現場を目撃した。結局やることは同じなので目撃されたこと自体はさほど問題はなかった。

 あたしに戦闘の心得はもちろんないが、世界があたしを味方する。このフェーズになると皆は決まって都合よくバラバラに過ごしていて、皆都合よく油断をしていて、あたしがそれを為そうとすれば皆大概一撃でやられてくれた。だからあたしはただいつもと同じようにミスカを殺そうとして――いつもと違うことが起こった。

 真正面から襲い掛かったあたしの攻撃をミスカは難なく避け、あたしの足を払い、転んだあたしの手から刃物をはたき落として、そのまま覆い被さるような姿勢であたしを床に押さえつけた。

「何してる」

 ミスカの低い声が突き刺さる。血を流して動かない仲間のことと、今しがたのあたしの行動のこと、それに対する強い非難が五音に込められていた。

 心臓が暴走している。肺が硬直している。仕留め損なうなんて初めてだった。人殺しなんて、非現実だからできていたのに、五人もいるんだから勢いに任せて一気にやらないとやってらんないのに、既に一人殺してしまったこの段階からのこのこと皆の輪に戻れるわけでもないのに、押さえつけられたりなんてしたらもうどうもできないじゃないか。

「殺さないと、いけないの」

 こんな短い返答に何秒かかったろう。声が出るのと同時に涙もぼろりとこぼれだした。

「誰を」

「皆を」

「なんで」

「言えない」

 ミスカは、死体や他のものに一切視線を泳がせたりせず、あたしだけを真っすぐ見つめながら、短い質疑を繰り返した。

 夢世界や現実世界がどうの、という話は、しなかった。ご丁寧に説明できるほど余裕もなかったし、そんな世迷言が言い訳として機能するとも思えなかった。

 やがてミスカは少し考えこんで、こう訊いた。

「それは、お前じゃないといけないか?」

「……? 何が?」

 ミスカは変わらずあたしを見ている。質問がよくわからなくてあたしもミスカを見つめ返した。まだ目元はぐしゃぐしゃで、瞬きするたびに睫毛が水滴を撥ねる感触がある。

「……」

「……そうか」

 やがて、ミスカは立ち上がった。そのまましばらくあたしを見下ろして、踵を返し、部屋を後にした。

「すぐに済む」 とだけ言い残して。



 ミスカが部屋を出ていったあとも、思考の糸が全く結びつかなくなってしまって、あたしはその場で茫然としていた。

 「すぐに済む」 というのはミスカの口癖のようなものだ。旅の道中、魔物が現れたときなんかにそう言って、実際宣言通りすみやかに敵を殲滅して戻ってくるのだ。戦闘が始まるときにフードを被るのもよく見る。仕事をするときのスイッチのようなものなのだろう。

 さっき部屋を出るときにもそうしていた。


 動けるようになってすぐ、あたしはミスカを、皆を捜した。

 最悪な想像をした。流石にそれはありえないだろうとも思った。だってあたしとミスカじゃ意味が違う。

 もう一度言う。人殺しなんて、非現実だからできていたのだ。この世界はあくまで架空のもので、どれだけ血と心の通った動きをしていても皆はあくまでキャラクターだ。あたしが捨てると決めた物語には警察どころか未来だってやってこない。あたしを責める奴はあたししかいない。

 ミスカは違うだろう? あたしにとっては「作者とキャラクター」でもミスカにとっては「人間と人間」だろう? あたしは夢世界の話をしなかったのだから。


 やっと見つけたミスカはリンと居た。リンは、もしかしたらまだ生きていたのかもしれないが、出血がひどい。ミスカがいつも使っていたナイフと、剣を持ったままの右腕、そこから落ちたアクセサリーが床に散らばっていた。他の二人の転がっていた部屋には応戦した跡がほとんどなかったから、これまでのあたしと同じように、ろくに反応できなかった二人をほぼ一瞬で仕留めたのだろう。

「……あとは俺だけか」

 無我夢中でミスカの背中にしがみついたあたしに、ミスカは静かに言い放つ。

 ここから、二人だけで旅を続けることはできるのだろうか。たぶんあたしがそれを望めば世界はそのまま回るのだろう。でもそれは、願ってはいけないと思った。ミスカはきっとあたしが単に殺戮を止めに来たのだと思っただろう。そうじゃない。そうじゃないから、どうか、聞いて。

「自分でやる」

 ミスカの瞳が初めて揺らいだ。


「あたし、これから皆ともう一回やり直すの」

 殺す準備と殺される準備をしながら、あたしは語った。ミスカはいつものように言葉少なに聞いていた。

「あたし、次の旅で最後にする。もう誰も傷つけずに、最後まで行くの。どんな嫌なことがあっても、逃げ出したくなっても、絶対、前へ。だから――見守っていてくれる?」

 この声明を、これから死に、創り直されるミスカは当然覚えておくことができない。それでも。

 ミスカは頷いて、祈るように目を閉じた。

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