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はじめのはなし

  • 宮間 怜一
  • 7月9日
  • 読了時間: 5分

 少女は『平凡』という言葉が嫌いだった。

 教室にいる他の人間と自分を比べ、誰かほど突出して優れた点もなければ突出して劣った点もない自らのことを『無個性』であると感じていた。『普通』や『平凡』という言葉を嫌悪し、それらの言葉がふさわしい自分自身のことも、少女は忌み嫌っていた。

 家庭環境や友人関係に大きな不満はなく、人並みに苦労し、人並みに幸福な日々を送っていた。それでも時折、小さな波が押し寄せるような不安を感じることがあった。

 それは教室で談笑している最中ふと自分だけがグループから離れた位置にいるような感覚であったり、みんなで家路を辿る途中でこっそり姿を消しても誰も気付かないのではないかといった憂いであった。そういった、自分が何かに埋もれて見えなくなってしまうような不安を、少女は誰にも悟られぬように背中に隠していた。

 毎日のルーティンを終え、あたたかな布団にくるまるとき、少女は薄っすらと憂鬱な、『朝が来てほしくないような気持ち』を抱いていた。


 『これは夢だ』と、自覚のある状態で見る夢を明晰夢という。

 夢の中、少女は夕陽に染まる教室にいた。

 正面には現実世界のどの友人とも異なる『親友』がいて、少女の席の方に椅子を向けて頬杖をついている。肩先に触れる髪が西日でオレンジ色に染まっていた。

 放課後の教室で彼女と交わしていた他愛ない会話の内容を少女はもう憶えていないが、『好きな人いる?』『最近お気に入りの曲は?』と、彼女が様々な角度から少女のことを知ろうとしていたことは記憶している。

 少女が眠りにつくたび、視界には夕暮れの教室が広がる。何度か同じ夢を見るうちに夢の世界は精彩さを増してゆき、夢の中の自分には三人の友人と一人の恋人がいるという設定になっていた。

 大人びていて女らしい、たおやかな友人。

 背が高くて物静かな、落ち着く友人。

 快活であたたかな信頼感のある、誰もが羨むような恋人。

 オレンジ色の髪をした、一番の親友。

 『世界を救う』だとか『強大な能力を手に入れる』といった大層な願望は少女にはなく、ただ『素敵な誰かと肩を並べて過ごす』という、ささやかながらも切実な願いを、少女は非現実の世界に求めていた。繭のように閉ざされた世界の中、やさしい架空の友人たちとの日々に少女は癒され、満たされていた。


 一度は。


 夢の中でもなお、少女の『自分には何もない』という引け目は解消されていなかった。

 少女がいつも平均点ばかり取っていたのは現実世界の話である。『普通』や『平均』とは現実の教室における中庸を意味していた。

 夕暮れの教室には少女と、少女の理想を体現した四人しかいない。

 彼らを愛してしまったがゆえに、自覚してしまった。すべてが自分の思い通りになるはずの夢の世界で、少女は自分という人間がその場にいる誰よりも醜く浅はかに見えた。


 少女は、登場人物を追加することにした。

 新しく登場させた少年は、少女と比べて成績が低く、ひ弱で運動神経も悪い。他人と話すのが得意でなく、陰気で協調性がない。中学生の価値基準で、あらゆるステータスが少女よりも劣っているように拵えられたような人物だった。

 少女は自分より下位の人間を用意することで自らの価値を高めようとした。少年の愚鈍さを喧伝し貶めることに躍起になっていた。

 根っからの善人である夢の友人たちが、それで心証をよくするはずがなかった。


 「ちょっと可哀想じゃない?」と、親友だった彼女が言った。

 「最近なんだか変よ」「なにかあったの」と心配そうに顔を曇らせる彼女を見て、少女は心の奥に鋭い痛みを覚えた。ずっと写し鏡のように自分の感情に共鳴し寄り添ってくれていた彼女からの言葉が少女には重く、少女は自身にも予想外なほどに強く反発してしまった。

 恋人の少年は、他の友人や劣等生の少年と密かに話し込むことが増えた。情に篤く正義感の強かった彼は、少女の変貌に対する苦々しい思いが眉間の皺となって表出していた。

 同じ女性として憧れる美しい友人が、自分の恋人と密談を交わしているのをたびたび見かけて、自分よりずっとお似合いなのではないかと少女は嫉妬を募らせた。彼らが少女を案じて相談を重ねていたことを、少女が知ることはなかった。

 いつもは静かに話を聞いてくれる友人も、今は却ってその静寂で少女を責めているように感じられた。


 ゆるやかに、少女と彼らを繋いでいたものが綻びていく。

 早く目を醒ましたくて、出口を求めて、少女は出鱈目に校舎を走っていた。

 階段でばったりと、劣等生と対面する。少女によってその名に『澱』や『淀』などという字を充てられた少年は、冷ややかなほどに澄んだ瞳で少女を見据えていた。


「……なによ」

「別に。──可哀想だなって」



 少年は動かなくなっていた。

 階段から突き落とすと人間はそうなってしまうのか、それとも夢の世界の人間が格別に脆いのか、少女に知る由はない。

 ふらつきながら階段を下り、少年の歪んだ身体に触れながら、少女はひとつの可能性に思考を奪われていた。

 自分が『友達ごっこ』をしているこの舞台から、役者が消えたらどうだろう?

 動くものがひとりもいない舞台は、その存在を保てないのではないか?

 早く逃げたい。終わらせたい。この最悪な夢を。

 それができるのは、自分しかいない。


 思いついてからは早かった。

 少女は真っ先に、自分の恋人を奪おうとした女を探した。ろくに喧嘩もしたことのない素人が半ば衝動任せに振るった暴力に、女の身体や衣服は無惨な姿となった。

 女を庇い、少女を非難した男も殺した。

 無口な女は相変わらず感情の読めない顔でこちらに寄り添おうとしてきたが、今更もう遅かった。

 最後の一人が悲鳴を上げた。


 親友の首を絞めながら、少女はぼろぼろと泣き続けた。

 心も身体も疲れきって、自分は肩で息をする。

 自分は何を間違えたんだろう。どうすれば幸せなままでいられたのだろう。『次は』どうすればいいだろう。

 荒れ果てた教室にもう夕陽は射しておらず、夜のはじまりの薄闇が辺り一帯を包み込んでいた。


 世界の終わらせ方を知ってしまった少女は、その後世界を創り直した。

 『友人』を創り、行き詰まっては、同じように命を奪った。

 自分が創り、愛したものたちを、自分で傷つけ、壊してゆく。

 当初の願いを忘れるほど、何度もそれを繰り返す。

 少女は未だ、悪夢に囚われている。

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