翌日。春間近の晴れ空は色が薄い。
ここの通りは服飾品や武器防具の店がかたまっているのだと聞いた。今日は丸一日かけてあたしの旅支度を手伝ってくれるらしい。
あたしはと言うと、当然と言ってしまうと悪いのだが、とにかくこっちの世界のお金がない。諸々の資金がリンとチェリッシュのポケットマネーで賄われることになってしまい、ヒモになった気分を味わっていた。
「リン! もう一通り装備は揃ったかい?」
「旅に出るんだってね。そんじゃこれはおまけ」
「おっと連れがいんのかい? そいつを早く言ってくれよ」
街の皆がリンをよく見知っているようで、行く先々で店員や居合わせた客に声をかけられている。
会う人々がリンに腕輪やペンダントを手渡していた。時々ついでであたしにもくれる。なんなんだろう? 訊く暇もなくあたしたちは市場の賑わいに潜っていった。
「リン」
ひととおりの買い出しが終わった頃、声をかけてきたのは高校生か大学生くらいの女の人だった。髪も肌も淡い色をしていて、手足は華奢。西洋のお人形みたいな人だ。
「買い出しは済んだの」
「うん、大体。今はもう寄り道というか観光案内の時間かな」
「案内……?」
そこでやっと彼女はあたしに気付く。が、澄ました雰囲気の顔はいつの間にか不機嫌になっていた。
「見ない子ね。なあに? 新しい彼女?」
「違うよ。一緒に旅することにしたんだ」
彼女はじろじろとあたしを見る。視線があたしをちんちくりんだと罵ってくる。落ち着かないあたしはリンの様子を窺うように彼女のことをこっそり尋ねた。
「この人は……?」
「元カノ」
「もっ……!?」
「えっ、意外?」
驚くままに声を上げてしまって、やばっと口を抑えた。
こんな、漫画の中にいるような状況で、それで言うときっとあたしやリンはメインキャラクターな訳で、そういうキャラはこれから物語の中で出逢う別のメインキャラとの恋こそが初めての恋なんだという偏見を持っていた。
そりゃあ漫画じゃないし、リンは大人っぽいし、そういう経験のひとつやふたつあっても何もおかしくないはずだった。
「明日出発なんだ」
「知ってるわ。それで探してたの」
彼女が抱えていた籠を傾ける。中にはきらびやかなロザリオや装飾品がたっぷり入っていた。
「まさかそれ全部?」
「こんなに着けたら沈んじゃうわ。どうせ他の人からいっぱい貰っているでしょうし、ちょうどいい量だけ取っていってもらおうと思ったの」
「バイキングみたい」
「もうっ」
「……さっきから色々貰っていたけど、それ何なの?」
気まずいながらも尋ねると、答えてくれたのは元カノさんの方だった。
「クベースの慣わしなの。船乗りやこれから旅立つ人たちに、どうか無事でありますようにって」
「貰ったものはなるべく全部身につける。そうしておくと身ひとつになっちゃったときとかに売れる」
「売るの!?」
「非常資金になるんだ。現実的でしょ」
くすっ、と声が聞こえた。彼女さんが笑っている。不機嫌じゃなくなったのはいいけど、あたしのリアクションはそんなに可笑しかったのだろうか。
「ふふ、他所の人の反応って新鮮ね。
あのね、これって『何も起きませんように』って御守りじゃなくて、『何か起きても大丈夫でありますように』っていう御守りなの。素敵でしょう。あたし好きなのよ、この文化」
言われてみれば確かにそうだ。身ひとつっていうのは、例えば船が事故ったときの想定だろうか。港街だし。御守りに地域らしさなんてあるんだな。ちょっと社会科の勉強になった気分がする。
「あなたにもあげる。特別よ」
そう言って着けてくれたのは、かなりか細い指輪だった。小さい星型の石がついている。透明のような、光を反射して七色になっているような不思議な色味で、あたしは帰る間も時々自分の指を眺めていた。
夜。喉が渇いて下の階に向かうと、居間でチェリッシュがくつろいでいるのが見えた。
「おう、どうした」
「あ、ちょっと水を……」
特に気にせず台所に向かおうとしたところに、ふと声がかかった。
「あんた、変身魔法は使えるか?」
「えっ、全然……そもそも日本じゃ魔法なんて」
「そうかい」
変身魔法? いまいち何が聞きたいのかわからず、あたしはちょっと身構える。
ひと息ついて、彼女は言う。
「悪いな、俺はまだ正直お前さんをあまり信用できてねえ」
ああ、やっぱりそうなんだ。初日から薄々感じていたピリピリ感が言語化されて息が詰まる。チェリッシュ以外の人だってそうだ。歓迎しているのはリンのことで、あたしはオマケか、他の人たちからリンを奪う存在に見られている。
「お前さんは身元がわからん。異世界人と言うんだからそれはまあ仕方ねえ。だが、お前さんは自分がここに来た経緯を言ってねえ。目的も言わねえ。なんでメルカメルシという街だけ知っている? 会いたい奴ってのは何者だ。本当に実在するのか?
恋なのかなんなのか知らねえが、リンは妙にお前に肩入れしてる。それでお前さんが無害そうなフリしてリンを操作してんじゃねえか? そう疑っちまったんだ」
「……そうかも」
「そうかもだぁ?」
「ほんとに何でもしてくれるんです。あたしにとって助かることばかり言うんです。ほんとにあたしがそうさせているのかも」
「……なんか思い当たんのか」
「……」
「まあ話してくれなくていいけどよ。——それなら、なあ、飛鳥」
「は、はい」
否応なく背筋が伸びる。おずおずとチェリッシュを見ると、予想ほど怖い顔はしていなかった。
「リンには、旅の仕方も戦闘の仕方も仕込んである。この先大概の苦難からリンがお前を護ってくれるだろう。その代わり——お前さんからも、あいつのことを護ってやっちゃくれねえか」
「あたしが……リンを?」
「あいつはな、見た目は一人前だが歳はお前さんとそんなに離れちゃいないんだ。仕事はデキるがたまに言うことやることズレてたりしてよ。
だからこの先、あいつを存分に頼ってもいいが、違和感があったときやあいつが暴走してるときは、お前さんがバランスをとってやってくれ。できるか?」
それは、この街に来て初めて、リンの付属品のあたしではない、天峰飛鳥にかけられた言葉だった。
チェリッシュは、あたしのやろうとしていることを知っててそんなことを頼むんだろうか。それとも、この異世界がチェリッシュを操ってそんな台詞を言わせてるんだろうか。
「やってみます。できるかわからないけど。元からそのつもりだったんです」
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