『異世界』に来る前のあたしはどうだったかというと、特別なことの何もない普通の中学生だった。
他の誰かほど頭はよくないし、運動もできないし、話が上手なわけでも可愛いわけでもない。それでいて他の誰かほどそれらができなさすぎるというわけでもない。
どこにでもいる、まさに平凡な、モブのあたし。こないだ中学を卒業して来月から高校生の、何にも属していないあたし。
異世界に来たあたしは中学のものとも高校のものとも違うセーラー服を着ていた。
これであまり変な服を着せられても困るけど、やっぱり「あたしだけの」とか「特別な」みたいなものって存在しないんだと思うとつまらない感じがした。
「元気があったら下の階でお茶でもどうかな。いろいろ教えてあげるよ」
金目のこの人はリンというらしい。リンが名前でウィステリアが苗字だと丁寧に教えてくれた。
恐る恐る床に立つと、外にいたときに感じた足元のおぼつかない感じはもうなかったので、少し安心する。
リンの案内に従ってダイニングまで向かうと先客がいた。
「おう、起きたか」
声は低いが女の人だ。タトゥーをしていて、第一印象は少し怖い。
「倒れたんだよね」と、リンはあたしに説明する。
「医者に連れて行くのが正しかったんだろうが、日も暮れてたしな。今夜は泊まっていくといい」
「彼女はチェリッシュ。この家の家主だよ」
「……リンは?」
「私は居候」
「あんた、名前は?」
「天峰、飛鳥」
「飛鳥な。あんた、連れはいるか?」
「ううん、ひとり……」
「そうか。いるなら連絡のひとつも入れた方がいいと思ったんだが」
「飛鳥、まだ何もわかんないよね。明日からどうしようか」
「余所者だろ? 旅人じゃねえのか?」
「チェリッシュ、この子、異世界人なんだ」
「イセカイ? どこだそりゃ」
「私の故郷、地図の『上』って言ったことあったでしょ」
「おう」
「裏」
「……地下?」
「遠いどころじゃない場所ってこと」
「あの……地図の『上』って?」
「あ、ごめん、まず地理がわかんないよね」
ちょうど壁に大きな地図が貼ってあったので、リンは外して机に広げた。
「いま私たちがいるここはクベース。西の港街だよ。で、私の故郷はちょっと特殊で……空に浮いてるから載ってないんだ」
「こいつは何年か前にその島から落ちてきたんだ」
「ちょっと立場が似てるでしょ、遠い町から来て、帰り方もわからなくて。それでね、飛鳥が望むなら、日本まで送ってあげたいと思ったんだけどーー」
「航路がわからんな」
「そうなんだよね」
ふたりはうーんと悩み込む。ゲームの会話を読んでるみたいに外野気分になっていたのがそこでハッと我に返った。
「あの……手掛かり、あるというか」
「本当か!」
リンとチェリッシュが勢いよくこちらを向くので圧倒される。似たような立場だったと言っていたけど、きっとリンのときは苦労したのだ。
「あ、あたし、会いたい、会わなきゃならない人がいて」
「名前は?」
「シュロ・マリアン。そいつがきっと、帰り方も知ってる……」
「その人、どの辺にいるかわかる?」
「め、メルカメルシ」
「メルカメルシだぁ? また随分遠いな」
「クベースから船でも行けなくはないけど、フィズヒに向かって航空便が早いかな」
「あ! 待って、地上から行きたいの、街から街を伝って」
そこでふたりは顔を見合わせる。
「「……なんで?」」
「えっ」
あたしはそこで詰まってしまった。そもそもこうやって事情を話すのも、目的を訊かれるのも、『今回』が初めてだった。
「う、あの、えーっと」
「……ちょうどいいな」
「えっ?」
「実は私、ちょうどこれから旅に出るところだったんだ。ひとりで。それも目的地に真っ直ぐじゃなくて、あちこち歩き回らなきゃいけない。
一緒に行こう、飛鳥。私が仲間になるよ」
「い、いいの……?」
突然の提案にあたしは困惑する。ここで知り合ったリンが味方をしてくれるのは願ってもないことだが、こんなに都合が良くていいんだろうか。
「確かに都合がいいな」
チェリッシュの言葉があたしの脳内の言葉と被ってぎくりとする。
「リン、金は足りてるか?」
「大丈夫」
「明日買い出しに行かねえとな」
「そうだね」
「ーー訊きてえことは山ほどあるが、今日はもう寝るといい」
「部屋に戻ろうか。おやすみ、チェリッシュ」
「おやすみ」
「チェリッシュのこと、ちょっと怖い?」
リンの寝室に戻るなり、リンはあっけらかんと訊いてくる。
「そ、そんなこと」
「荒っぽいけど優しい人だから、安心していいよ」
「……うん」
「旅って初めて?」
「うーーうん」
「そっか。でも独りじゃないからね。私はチェリッシュや他の人たちと旅に出たこと何度もあるし。だから、任せてね」
ベッドに誘導されたあたしを寝かしつけるように、大丈夫、大丈夫 とリンは布団をぽんぽんした。
「それじゃ私リビングにいるから。また明日」
「あ、うん。おやすみ……」
電気が消える。
「よい夢を」
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