クベース 飛鳥-2
- 宮間 怜一
- 2023年3月5日
- 読了時間: 5分
更新日:1月30日
『異世界』に来る前のあたしはどうだったかというと、特別なことの何もない普通の中学生だった。
他の誰かほど頭はよくないし、他の誰かほど運動もできないし、話が上手なわけでも可愛いわけでもない。それでいて他の誰かほど、それらができなさすぎるというわけでもない。テストの点数はいつも平均前後で、いつもより高い点がとれたと思ったときは平均自体が高くなっているから変わらずあたしは平均点。だからといって、どうせ努力しても変わらないからと勉強を投げ出すこともできない、そういう諦めの悪さだけは人一倍。どこにでもいる、まさに平凡な、モブのあたし。こないだ中学を卒業して、来月から高校生の、何にも属していないあたし。
異世界に来たあたしは、中学のものとも高校のものとも違うセーラー服を着ていた。これであまり変な服を着せられても困るけど、こうして現実世界から離れてなお『あたしだけの』とか『特別な』みたいなものって存在しないんだと思うとつまらない感じがした。
「元気があったら下の階でお茶でもどうかな。いろいろ教えてあげるよ」
金の瞳のこの人はリンというらしい。リンが名前でウィステリアが苗字だと丁寧に教えてくれた。妙に慣れている感じでなんだかドキドキする。この世界には、外国人や別世界の人間はよくいるものなのだろうか。
恐る恐る床に足をつく。外にいたときの、足元のおぼつかない感じはもうないようで少し安心する。
リンの案内でダイニングへ向かうと先客がいた。
「おう、起きたか」
声は低いが女の人だ。日に焼けた肌にタトゥーをがっつり入れていて、第一印象は少し怖い。
「倒れたんだよね」と、リンはあたしに説明する。
「医者に連れて行くのが正しかったんだろうが、日も暮れてたしな。今夜は泊まっていくといい」
「彼女はチェリッシュ。この家の家主だよ」
「……リンは?」
「私は居候」
「お前さん、名前は?」
「天峰、飛鳥」
「飛鳥な。あんた、連れはいるか?」
「ううん、ひとり……」
「そうか。いるなら連絡のひとつも入れた方がいいと思ったんだが」
「飛鳥、まだ何もわかんないよね。明日からどうしようか」
「余所者だろ? 旅人じゃねえのか?」
「チェリッシュ、この子、異世界人なんだ」
「イセカイ? どこだそりゃ」
「私の故郷、地図の『上』って言ったことあったでしょ」
「おう」
「裏」
「……地底人?」
「遠いどころじゃない場所ってこと」
「あの……地図の『上』って?」
「あ、ごめん、まず地理がわかんないよね」
ちょうど壁に大きな地図が貼ってあったので、リンはそれを外して机に広げた。
「いま私たちがいるここはクベース。西の港街だよ。で、私の故郷はちょっと特殊で……空に浮いてるから載ってないんだ」
「こいつは何年か前にその空中島(くうちゅうじま)から落ちてきたんだ」
「ちょっと立場が似てるでしょ。遠い町から来て、帰り方もわからなくて。それでさ、飛鳥が望むなら、日本まで送ってあげたいと思ったんだけど――」
「航路がわからんな」
「そうなんだよね」
ふたりはうーんと悩み込む。ゲームの会話を読んでいるみたいに、あたしは外野気分で聞いていたのだが、そこでハッと我に返った。ここはあたしが進めないといけない場面だったようだ。
「あの……手掛かり、あるというか」
「本当か!」
『手掛かり』の一言で、リンとチェリッシュが勢いよくこちらを向くので圧倒される。似たような立場だったと言っていたけど、きっとリンのときは苦労したのだ。
「あ、あたし、会いたい、会わなきゃならない人がいて」
「名前は?」
「シュロ・マリアン。そいつがきっと、帰り方も知ってる……」
「その人、どの辺にいるかわかる?」
これについては、厳密な居場所は知らない。まだそこまで行けたことがない。ただ、そこに一番近いであろう場所は——
「め、メルカメルシ……」
「メルカメルシだぁ? また随分遠いな」
「クベースから船でも行けなくはないけど、フィズヒまで行って航空便が早いかな」
「あ! 待って、地上から行きたいの、街から街を伝って」
そこでふたりはポカンとした顔をして、お互い顔を見合わせる。
「「……なんで?」」
「えっ」
あたしはそこで詰まってしまった。そもそもこうやって詳しく事情を話すのも、目的を訊かれるのも、『今回』が初めてだった。
「う、あの、えーっと」
「……ちょうどいいな」
「えっ?」
リンの言葉に、とっさに顔を上げる。
「実は私、ちょうどこれから旅に出るところだったんだ。ひとりで。それも目的地に真っ直ぐじゃなくて街から街へ、あちこち歩き回らなきゃいけない。一緒に行こう、飛鳥。私が仲間になるよ」
「い、いいの……?」
突然の提案にあたしは困惑する。ここで知り合ったリンが味方をしてくれるのは願ってもないことだが、こんなに都合が良くていいんだろうか。
「確かに都合がいいな」
チェリッシュの言葉があたしの脳内の言葉と被ってぎくりとする。
「リン、金は足りてるか?」
「大丈夫」
「明日買い出しに行かねえとな」
「そうだね」
「——訊きてえことは山ほどあるが、今日はもう寝るといい」
「そしたら部屋に戻ろうか」
にっこり笑ってリンは言う。急にとんとん拍子で話がまとまってしまい、あたしは置いてけぼりになっていた。
「おやすみ、チェリッシュ」
「おやすみ」
チェリッシュは立ち上がって軽く身体を伸ばし、三人分のカップを器用に持って台所に向かう。あたしはリンに背中を押されながら、リンの寝室へと戻っていった。
「チェリッシュのこと、ちょっと怖い?」
部屋に戻るなり、リンはあっけらかんと訊いてくる。
「そ、そんなこと」
「荒っぽいけど優しい人だから、安心していいよ」
「……うん」
「旅って初めて?」
「う――うん」
「そっか。でも独りじゃないからね。私はチェリッシュや他の人たちと旅に出たこと何度もあるし。いっぱい頼って」
ベッドに誘導されたあたしを寝かしつけるように、大丈夫、大丈夫 とリンは布団をぽんぽんした。
目を覚ましたときからずっと、リンはあたしを安心させるように、穏やかな表情であたしの様子を伺っている。嬉しいけどもやもやするような、複雑な気持ちだった。
「それじゃ私リビングにいるから。また明日」
「あ、うん。おやすみ……」
電気が消える。
「よい夢を」
Komentarji